タイ国会は9月4日、プームジャイタイ党(タイ誇り党)の党首アヌティン・チャーンウィーラクーン氏(Anutin Charnvirakul)を第32代首相に選出した。タイでは、2024年8月にセター・タウィーシン首相が憲法裁判所の判断により失職。その後に首相に就任したペートンタン・シナワトラ前首相(Paetongtarn Shinawatra, タクシン元首相の3人の子の末子)が今年8月に失職。政局の混迷が続いている。この政治的激変は、かねてより議論が進められてきた「カジノを含む統合型リゾート法案」(Entertainment Complex Bill, 以下「IR法案」と表記)の行方にも大きな影響を与える可能性がある。

ペートンタン首相の失脚は、カンボジアとの国境紛争対応における、彼女の「弱腰外交」が引き金となった。流出したフン・セン前カンボジア首相との電話会談の音声には、ペートンタン氏がタイ軍を批判するような発言が含まれていたと報じられている。この音声が国内外で「国家主権の放棄」と激しく批判され、国民の不満が頂点に達し大規模なデモがおこった。これにより、憲法裁判所が「倫理規定違反」と判断し、わずか1年で彼女は首相の座を追われることとなった。

新首相に就任したアヌティン・チャーンウィーランク氏は、政権の中核を担う「タイの誇り党」の党首。彼は、保健相時代に大麻の医療目的での使用および個人栽培の解禁を強力に推進したことで知られている。

この政策は、新たな経済作物として大麻を奨励し、農業収入の向上と医療ツーリズムの促進を目指すもので、実際に、大麻関連産業は新たな市場を生み出し、大きな経済効果をもたらした。その一方で、規制の不備から嗜好品としての使用が広がり、首都バンコクには多くのショップが乱立。若年層への影響など、社会的な負の側面も指摘されている。現在、新政権はこの問題の再規制を検討しており、課題の多さが浮き彫りとなっている。

そして、アヌティン氏および彼が率いるタイの誇り党は一貫して、カジノを含む統合型リゾート(Entertainment Complex)推進を支持してきた。

〔写真〕バンコクの繁華街にはカフェのような感覚の合法的なカンナビ(大麻由来製品)ショップが並んでいる

IR法案は、カジノを含む統合型リゾート(IR)の合法化を目的とした法案。当初、今年7月9日に下院で審議される予定だったが延期されている。国民のより広範な支持を得ている他の法案が優先されたため、議案の中での優先順位は下位になっている。

この背景には、法案に対する国民の根強い反対意見がある。世論調査では、カジノ合法化への反対が過半数を超えており、政府は国民の意向を慎重に考慮せざるを得ない状況だ。もちろん、連立を組む他の政党内にも、IRに対して慎重な意見も存在する。

〔タイ政府は最大で5カ所にEntertainment Complex (カジノを含む統合型リゾート)を開設することを計画している〕

法案が前進するシナリオ

アヌティン氏と彼が率いる「タイの誇り党」は、IR導入がタイ経済に計り知れない利益をもたらすという明確な経済的論理に基づき、一貫してIR推進の立場を取ってきた。

同氏は副首相だった2024年9月9日に「プームジャイタイ党は統合型エンターテインメントコンプレックスの概念を支持する」と発言をしている。The Pattaya Newsの報道は、アヌティン氏の発言を下記のように伝えている。

As for casinos, Anutin stated that the Bhumjaithai Party supports the concept but emphasized that any casino must be part of a comprehensive entertainment complex. This complex would include resorts, shopping areas, hotels, amusement parks, and restaurants, with the casino occupying no more than ten percent of the total space. He reiterated that this proposal does not legalize gambling but permits highly regulated and limited casino operations under strict rules.(カジノはリゾート、ショッピングエリア、ホテル、遊園地、レストランを含む包括的なエンターテインメントコンプレックスの一部でなければならないと述べた。カジノは全体スペースの10%以下に制限されるべきであり、これは賭博の合法化ではなく、厳格なルールの下での高度に規制された限定的なカジノ運営を許可するものである。)

またこの当時、アヌティン氏は、「プームジャイタイ党は、これらのコンプレックスを通じて地方地域に収入を分配し、ショッピングセンターやフードコート、テーマパークなどの追加アトラクションが地域社会にも利益をもたらすと考えている」とも発言している。

タイ政府の試算によると、最初の1箇所だけでも、IR開発への投資額は1000億バーツ(約4410億円)規模に達し、最大で年間0.2%~0.8%のGDP押し上げ効果、そして約2万人の直接雇用、約3万人の間接雇用が創出されると見込んでいる。また、年間120億~394億バーツの新たな政府歳入が見込める。この収益は、教育や公衆衛生、貧困支援といった社会的な分野に充当される計画だ。

また、IR推進派は、違法賭博市場を合法化して管理することの重要性も強調している。タイではすでに非合法な賭博が蔓延しており、その収益は犯罪組織の資金源となっている。IR(の中のカジノ事業)を厳格な規制の下で合法化することで、これらの違法賭博市場を撲滅し、健全な税収へと変えることができると主張している。これは、大麻解禁が違法市場の撲滅を目指したのと同様の論理だ。

新政権は、経済を立て直すための目玉政策として、IR法案の成立を強く推し進める可能性がじゅうぶんにある。特に、アヌティン氏が保健相時代に大麻解禁という大胆な経済施策を成功させた実績があるため、今回も同様の手法でIR合法化を断行するかもしれない。

法案が塩漬けされるシナリオ

もう一つの可能性は、IR法案が当面の間、事実上棚上げされる(塩漬けされる)ことだ。現時点では、この可能性のほうが大きいと考えられている。アヌティン氏は2025年7月なると、「エンターテインメントコンプレックスはカジノとオンライン賭博の隠れ蓑に過ぎない」と述べるようになったからだ。国民世論の強い反対を背景として立場を変化させたと思われる。

前首相の失職が、国民の不満が高まる問題への対応を誤った結果であったことを考慮すると、新政権は就任早々に国民が強く反対する論争的な議題に深く関わることを避けたいと考える可能性がある。特に、IR法案は社会的な副作用(ギャンブル依存症、マネーロンダリングなど)を懸念する声が大きいため、政権基盤を安定させることを最優先に、当面は議論を進めない道を選ぶことも十分に考えられる。

結論として、新政権のアヌティン氏は、経済活性化のために大胆な施策を進めてきた実績があるが、ペトーンタン氏の失職が示すように、国民の意向を無視すれば政権運営は困難になる。IR法案の行方は、新首相が経済的利益と国民の懸念という二つの相反する要素をいかにバランスさせるかにかかっていると言えるだろう。

[Summary]
New Government in Thailand Casts Uncertainty on Entertainment Complex Bill

Amid political turmoil following the successive removals of former Prime Ministers Srettha Thavisin and Paetongtarn Shinawatra, Thailand’s parliament elected Anutin Charnvirakul, leader of the Bhumjaithai Party, as the new prime minister on September 4th. This political upheaval could significantly impact the future of the proposed Entertainment Complex Bill, which includes the legalization of casinos.

New Prime Minister Anutin is a strong proponent of the IR bill, citing substantial economic benefits. His past success in legalizing cannabis as Minister of Public Health demonstrates his focus on economic stimulation. The IR project is expected to generate massive investment, create jobs, increase tax revenue, and help eradicate illegal gambling.

However, the bill faces strong public opposition and its deliberation has been postponed. Considering that the previous prime minister was ousted due to public discontent, it is uncertain whether the new administration can push the bill through against popular opinion. The fate of the IR bill now depends on how Prime Minister Anutin balances the anticipated economic gains with public concerns.

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